ログイン「副団長!お疲れ様です。 もう、お帰りになるのですか?」
俺は騎士団本部で、帰りの支度をしていた。魔獣討伐に出て、――4年。やっと、帰ってこられた。俺は今回の討伐中に、副団長に就任した。アーシュは喜んでくれるだろうか。赤い髪をなびかせて、花のように笑う彼女が頭に浮かんだ。俺は口元が緩んだ。「副団長、にやけてますよ……。奥様、魅惑的ですもんね~!うらやましいですよ。奥様が食堂に来る時間は男性職員で混んでるって言いますからね!」「は……?」「ちょっと、副団長! 俺を睨まないでくださいよ。噂ですよ、噂……。今日は熱い夜になりそうですね~。では、失礼します!」そう言って、なかば逃げるように、若い団員は事務所を出ていった。食堂での様子を想像し、俺は奥歯に力が入った。あんなに清らかなアーシュに……。俺は頭を振る。「アルディ、おやすみ……」「ん? 添い寝する?」「違うって? あははは。分かったよ。明日も約束な……」二階の子ども部屋の扉が閉まった。軋む階段。金色の髪をかきあげて、翡翠色の瞳と目が合う。優しく微笑む彼。「私も行った方がいい?」ディートハルトは上を向いて、唸った。「大丈夫だと、思う……」「そう……」「今日はきつい稽古だったから、ぐっすり寝られるよ……」「子供たち、――張り切ってるもんね」「ああ……」彼の静かな視線が私に降り注ぐ。視線を合わせていられなくて、自分の手元に集中する。昼間、お店の接客で作業ができていない。だから、最近はディートハルトが寝かしつけてくれている。誰かに、頼れるって……嬉しい。私は自然と口元に笑みが浮かぶ。ふわっと石鹸の香りがした。「まだ、かかりそう?」耳元でディートハルトの低い声がする。肩がピクッと跳ねて、彼がフッと笑った気がした。「あ……、えっと、これが終われば……」無情にもカチッと部品がはまって、完成してしまった。「できた……みたいだね……」逞しい腕に後ろから包まれる。「うん……」腕の重みや温もりが心地いい。「じゃあ、この後の時間は……?」ディートハルトが私の肩に顔を乗せて聞いてきた。「えっと……。あっ、夕食の食器を――」「洗っておいたよ……」「えっ? じゃあ、明日の朝食の準備を……」「簡単なスープを作って、保温器に入れたよ。あと、パンも買ってある」「あ! 店の看板……」「ちゃんと閉まって、戸締まりもした」「っ……!」考えても、もうでてこない……。耳に彼の息遣いを感じる。「もうない?」くるっと椅子が反転した。おぼろげな明かりに照らされた彼。髪は濡れていて、――普段と違う。ラフに着たシャツからは、鍛錬が伺えた。胸元に下がる筒状の魔道具。私はそれを手に取る。今もぼんやり赤く光っている。「これ、まだ着けてるんだね」「うん……。離れていても、これがあるとね――」ディートハルトが私の髪を手に取る。「君の髪と同じ……」そして、その髪にそっと口づける。翡翠色の瞳の熱が上がっていく。息も……。「初夜……」「え……?」「やり直したいんだ……」私の顔がカッと熱くなる。「えっ!でも、アルディがまだ起きてるかも……」沈黙が流れる。「大丈夫。
「アーシュ? どうした?」「アルディのこと、ありがとう……。あの子の、あんなに楽しそうな顔見たことない……。あなたと、少しでも一緒にいた記憶を作れて……嬉しかったわ」陽だまりのような手が、私の手を包む。「少し……なんて、悲しいよ――。君やアルディが望んでくれるなら、――許してくれるなら、ずっと一緒にいたい」彼が真っすぐ、私を見た。そんな瞳で見ないで……。決心が……揺らいでしまうから……。あなたを自由にしたい……。 「ありがとう。ディーの気持ち、とっても嬉しいわ。でもね、あなたはこんなところにいて、いい人じゃないわ。王都に戻って、副団長に復職して……。それに、伯爵家のこともある。レインくんだって、これ以上待たせたらいけないわ……。責任なら、もう果たしてもらったもの」私は振り絞って笑顔を向ける。握られた手に力が込められた。「まず、レインのことは悪かった……。誤解させるようなこと……。いや……、うん。レインには……、気持ちに応えられない……と伝えた。伯爵家のことは、弟に継いでもらうように手紙を出した。復職は――しない」「えっ……?どうして? お義母様も、伯爵様もみんなあなたに任せたいって……。レインくんだって……。私……、知らなくて。あなたに酷いことを――」翡翠色の瞳が大きく開かれ、そして、ふっと笑った。「そっか……、レインから聞いた? ごめん、伝えられずに……」私は首を横に振った。「あれは、俺の弱さと油断から生まれたんだ……。新人研修の最後の日、酒に薬を混ぜられた。体は動かないのに、女性と仲間の声がしていた。体は火照り、香水の甘い香り……。――俺は、何もできなかった。レインが気づいて、団長を呼んできてくれた。――でも、君を拒んでいい理由にはならない。いや……違う。君に、話せなかった俺のふがいなさだ……」「そんなこと……」胸が痛かった。――気づいてあげられなかった。
カンカンカン――。木刀がぶつかる音が店の中にも聞こえてくる。店の窓から、子どもたちとディートハルトが見える。外の光に反射しているような彼の笑顔。子どもたちの楽しそうな声……。私はその声を聞きながら口元が緩んだ。「なあに? ニヤニヤしちゃって……」「え?」「そうよ、さっきから窓の外見て……。あ、旦那さんかっこいいもんね~」カウンターに座る女性たちが笑みを浮かべる。「あ、ちがっ! そうじゃなくて――。子どもたちが楽しそうだから……」「ふふふ。冗談よ……。でも、本当にうちの子どもも、ディートハルトさんに夢中で……。将来は王宮騎士団に入るんだ! とか、言うのよ?」彼女はそう言って笑った。「うちの子もよ~。でも、なんか目標ができて、生き生きしてて――」私たちは、窓の外を見る――。ジリ……。「あっつ!」「アーシュレイさん、髪の毛!」「えっ? あははは……。また、やっちゃった……」チリチリに焦げた赤い毛先を指でつまむ。「アーシュレイさんって、見た目と違うよね。――最初は、美人だし……。その……、色々誤解して……。ごめんね?」「私も……」「私も、よく知らないのに、息子に色々言っちゃって……。本当に、ごめんね……」カウンターに座る近所の女性たちが、頭を下げる。「えっ! いや、私こそ、上手く話せなくて、こんな見た目だし……。でも、最近は皆さんが来てくれて嬉しいです……」胸がザワザワする――。「かわいい!」「へ?」「アーシュレイさん、恥ずかしがり屋だよね!」「えっと……」「そりゃ、旦那さんも放っておけないでしょう」女性たちが深く頷いた。「それに、アーシュレイさんの魔道具、すごくいいよ!」「うん! うちのも! 旦那がさ、夜遅くに帰って来て、いつもそこから火を起こして温めたり、調理し直してたけど、あの保温器のおかげで、料理が冷めなくて助かってる!」「あと、お湯の冷めないポット! いつでも温かいお茶が飲めて、最高よ!」私は胸が熱くなり、笑みが零れた。「今は何を作ってるの?」みんなが私の手元を覗く。「これはお肉に早く火の通る鍋を作りたくて……」「それ、いい! この辺の動物は野性的だから、火の通りに時間がかかるのよね!」「できたら、ほしい!」笑い声が店の中にこだまする。「これ、お茶です……」「あ、ありがとうござ
「まだ……。こんなに遅くなることなんて……」肩が震えて、手足が冷たく、落ち着かない。「きっと、大丈夫……」大きく温かい手が肩を包む。「一緒に探そう……」私は頷き、コートを羽織った。 最近、山の奥に秘密基地を作ったと話していた。――もしかしたら。私たちはその場所に進む。複数の子どもたちの声――。背の高い草の隙間から、子どもたちの姿が見えた。――そして。街の子たちが、複数人でアルディを囲んでいた。一人がアルディの肩を押して、アルディは尻もちをついた。「お前、父親いないんだろ! あの美人の母さんしかさ! 男の人が みんなあの人を狙ってるって! 媚び売って仕事してるって。母さんたちが話してた! 」「違う! 母さんは立派な仕事をして、ボクを育ててくれているんだ!」「でも、父親はいないじゃないか!」「お父様は、――騎士様だって・・・・・・」「うそだ~」「ほんとうだもん! お母様が前に教えてくれた!王様のもとで、副団長をしている立派な騎士様なんだって!」アルディの声が震えていた。「じゃあ、証拠はあるのかよ!」「……」「やっぱり、嘘じゃないか! だいだい、こんな田舎にいること自体おかしいじゃないか!」「本当だもん!」「アルは嘘つきだ! きっと、お前はどこかのめかけの子なんだ! 母さんが言ってたもん!」私は肩が震える。まるで、頭から氷水をかけられたように――。そんなふうに言われていたなんて……。女性からの視線は厳しいとは思っていた。でも、それが――アルディにまで向けられていたなんて……。私はお腹に力を入れて、一歩を踏み出そうとした。
アルディに近所へお使いを頼んだ。「任せて!」とアルディは笑ってお店を出た。帰ってこない……。工具が手から滑り落ちる。その時、扉が開いた。「アルディ!」「た、ただいま、お母様……」赤い髪には枯葉がつき、体中泥まみれだった。そして、その手には――折れた木の棒が。「どうしたの? 何があったの? ケガは?」私はアルディの体をあちこち確認する。「お母様、ちょっと転んだだけだから……」「アルディ……」不安に押しつぶされそうになる。アルディをそっと抱きしめた。「話したいことがあったら、いつでも言ってね。お母さんはいつでも、待っているから……」「——はい。お母様……」今までも、何度かあった。でも、ここまでひどいのは……。キィ……。扉が開き、騎士服の男性が入ってきた。アルディと同じ瞳。アルディが私の胸を押して、距離をとった。「おはよう。変わったことは……?」「アルディがおつかいで転んじゃって……」彼に顔を見られたくなくて、手で隠す。鼻をすすって、私は息を整える。手の震えを抑えたくて、両手を握った。「どれどれ、見せて……」ディートハルトがアルディの体を確認する。「膝を少し、すりむいているね。俺の特効薬をぬるよ」ディートハルトは小さな容器から、塗り薬を出し、傷口に塗った。アルディがじっと一点を見つめている。「その剣……」「あ、この剣?かなり使い込んでるけど、持ってみるか?」「えっ? いいの?」翡翠の瞳がきらっと光った。「ああ、――アルディは特別だからな」
胸が痛かった。そんな話なら——早く終わらせたい。「――そう。でも、わざわざ来なくても、もう離婚届は出せるでしょ? それとも、恋人とのことを言いに来たの? 私から、なにかすることも無いし。婚姻関係が必要なら、そのまま私を利用すればいいわ……。私はアルディと、小さなあの店で暮らしていければ、それでいいの……」私は息継ぎを忘れて言葉を並べた。胸に手を当てて、息を整えた。枯葉を踏む音が忙しく響いた。後ろを歩いていたディートハルトが、私の目の前に立っていた。「アーシュ……」今にも泣き出しそうな、翡翠色の瞳が私に降り注ぐ。どうして――あなたがそんな顔をするの?息を吸うのが重くなり、私は視線を逸らした。彼を追い抜いて、先に進もうとした。ガシッと力強い手を掴まれた。そして、気づけばその胸に閉じ込められていた。「あの日、あの夜、共にすごしたのは、俺なんだ……。アルディは――俺の息子なんだろう……?」私の心臓が跳ねる。二人の鼓動が重なり合い、その音が大きくなる。「……」そっか……。真面目なディートハルトは、責任を取りに来たんだ。ハッとした。もしかして——伯爵家の跡取りに……?レインくんとの仲を、保つために……。私は彼の胸に思いっきり手をついて、離れた。ディートハルトが後ろに一歩下がった。「アルディは、――私の大切な宝物よ! だから……」私はぐっと唇を噛む。ディートハルトのことをそんなふうに思いたくない。……でも。 私は彼を追い抜いて、薬草が生えている所まで走った。ジャケットが風になびいて落ちる。一瞬迷った。でも、私は振り返らなかっ







